自己紹介&僕のモデル人生
まっつんと申します。
福岡に生まれ、福岡で育った、旅行好きなモデルです。
物心ついたころから今までの出来事や現在の状況を綴りたいと思います。
ほかの同級生や友人はしていないような人生を歩んできたつもりです。
今は東京でウクライナ人の彼女とその母と住んでいます。
かなり特殊な例かと思いましたので、様々な方々に読んでいただきたいです。
初回は僕自身のことを書かせていただきます。
現在は東京でモデル活動をしています。事務所に属していない、フリーモデルです。
ファッションモデル、広告モデル、ストックフォトモデルを主にしています。
・ファッションモデルとは、アパレル企業のカタログに載ったり、インスタグラムに載ったりします。その名の通り、服を着るモデルです。
・広告モデルとは、企業のイメージモデルだったり、CMに出演するモデルです。もちろん、インスタグラムに載ることも、電車内の広告に載ることもあるモデルです。
・ストックフォトモデルとは、写真会社のモデルです。有名どころだと、PIXTA、アフロ、Gettyがあります。ストックフォトは誰でも購入することができるため、どこで使われるかがわからないです。
上記の3つを主に活動しています。最近は作品撮りという、出展目的の撮影もあります。
モデルを始めたのは大学1年生の時。高校を卒業して休みだった3月、母から突然「西南(西南学院大学)で撮影あるらしいけん、あんた行ってきな」と言われ、初めての撮影へ行くことに。その現場はPIXTAというストックフォトの撮影でした。
母が勝手にPIXTAに登録したそうです。
初めての撮影で、めちゃくちゃ緊張をしていて、表情がガチガチだったのを覚えています。その現場は国際色豊かで、僕の班はイタリア人の男性、女子高生2人でした。白衣を着て理系大学のイメージでした。
福岡はPIXTAのカメラマンが少ないのか、あまり撮影に呼ばれることはありませんでした。半年に1回あるかないかです。なので、モデルをしていたとは言い難いですね。
そこから、時が経ち、コロナが蔓延します。すると撮影はなくなり、僕は大学4年生の大部分を家でのオンライン授業とドライブなどの遊びに費やしました。
東京に出てきたのは2021年3月。就職のためでした。その就職先は電気系で、ど文系の僕にとっては勉強のし直しから始まりました。子供のころから、ロボットを作ったり、電気回路を組んだりは好きでしたので、電気工事がメインの現場はとても好きでした。ですが、オフィスワークでの設計図を作ったりするのはとても苦でした。なぜなら、正確さが求められ、忘れていたA(アンペア)やらΩ(オーム)やらが必要です。
僕の中である線を決めました。10月ごろにある、電気工事士試験に合格したら仕事を続ける、落ちたら辞める。
落ちました。一生懸命勉強したんですが。。。
10月に無職になり、就職活動をできるような時期でもなく、職歴、実績はなく、資格はTOEICなどしかなかったので、モデルをしようと思い立ちました。
PIXTAに登録しなおし、様々なフリーモデルが登録できるサイトに登録しまくりました。
すると、さっそく12月に撮影リクエストが来ました。Fさんというカメラマンさんで、PIXTAでは日本ではトップクラスの売り上げがある方です(その時は知りませんでした。)
モデルの実績は福岡での数回の撮影。表情づくりもポージング技術もない僕。さんざんでした。笑おうと思っても不自然な笑顔しかできません。ポージングもほかのモデルさんの真似をしてしまう。など、その撮影は手ごたえもなく終わりました。Fさんから2回目の撮影リクエストはありません。
その後、1度撮影がありましたが、その撮影も同じような感じでした。
3回目の撮影は3月でした。Uさんというカメラマンさんは関西から東京へ撮影しに来た方で、とても笑わせてくれて、表情のコツやカメラ映りを教えてくれた最初の方で、この撮影でやっといい表情ができました。
というのも、実は、フリーのカメラマンさんとインスタグラムで繋がり、相互無償で撮ってくれて、表情の研究ができました。その効果があったのかも??
Uさんが写真をレタッチして、PIXTAサイトにアップロードするのが4月ごろ。その写真を見た東京のカメラマンさん方が5月にたくさんリクエストをくれました。そこから僕のモデル活動が本格化します。
5月~8月は月に15回程度リクエストをいただきました。
撮影は天気や木々の緑の感じが大事みたいで、10月以降はオフシーズンらしいです。
インスタグラムを活用して、様々なモデルさんやカメラマンさんとつながり、そこから企業さんから依頼をもらうことが多くなってきました。ストックフォトモデルはメリットは大きくありますが、デメリットもあります。
それが、どこで使われるかが分からない点です。僕が大きく映っている写真がスーパーの西友で使われていたことがあったため、いなげやというスーパーでの撮影がなくなったことがあります。キリンとアサヒのように、業界のライバル会社には使ってもらえないということです。
というように、僕は退職から今までモデルという業界に飛び込み、右往左往していますが、生きていけています。
これからどのような人生になるのか。このブログに書き続けていきたいと思います。
以下、僕が映っているPIXTAでの写真が見れるサイト
どの写真が最初の撮影か、最近の写真かわかりますか??
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世界遺産の街リヴィウーウクライナ
こんにちは!
最近、大学の課題やゼミ決めなどでとても忙しいコースケです。
さて、今回の更新は世界遺産に登録されている街リヴィウへ訪れた旅行記です。
リヴィウは西ウクライナの文化の中心です。日本でいうと大阪かな?
赤い印のところです。
この街は昔ポーランドの領地だったとか。。。
僕は歴史にうといのであまりわかりませんが、とにかく歴史ある街だそうです!
前回の投稿でリヴィウ駅の写真をあげましたが、見ての通りChernivstiから列車でリヴィウに向かい、着いたのは深夜です。
到着翌日から旅行開始。
雪景色がとてもきれいですよね
いや~きれい!スマホで撮ったとは思えないな~
雪が日本の雪と全然違うんですよ!!サラサラしてて、砂みたいです。
ちなみに、上の雪景色写真の4枚目はリヴィウの聖ユーラ大聖堂というとても有名な教会です。
もしリヴィウを訪れるのであれば必ず訪れるべき場所です!
リヴィウは街並みが世界遺産になっているため、とても街並みがきれいです。
どうですか??きれいですよね??
この日はとてもいい天気だったので、マイナス10度ぐらいでした。これでもあったかく感じました。
今回の投稿はここまでです!
次回はリヴィウの中心街の日記を投稿したいと思います!
見ていただきありがとうございます。
それでは。
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チェルニウツィ観光
チェルニウツィはとてもきれいな街です。
ウクライナと聞いてあまりフランスみたいな豪華な建物をイメージする人はいないと思います。
チェルニウツィにはあるんです。
とても歴史のある街なので、昔の建物や道がたくさんありました。
この建物は映画館かな??
街のメイン通りを歩いていると、漢字が見えました。
日本食レストランがありました!!
この日は日曜日だったので店は閉まってました。
メイン通りから少し離れると、歴史について考えさせられる感じられる場所がありました。
なんて書いてあるかはわかりませんが、第二次世界大戦の戦勝記念碑か戦没者慰霊碑でしょう。
ウクライナはドイツに占領され、ソ連に奪還されるという被害が大きかった地域でもあります。日本人としては無視できない場所ですよね。
その後、日本食レストランがあったので入りました。
「永」と書いて「よき」と読むそうです。
焼きそば?みたいな紙カップに入った麺料理とお寿司を食べました。味はおいしかったです。
ここでトラブル発生!!
カメラのバッテリーが寒さで死んだので、写真が撮れない!!
ということで、チェルニウツィ観光についてはここで打ち切らせていただきます。
カメラにあったチェルニウツィの最後の写真です笑
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お土産屋さんで撮りました。
この日の次の日まで観光しました。
チェルニウツィ観光の感想として、僕はこの街をとても気に入りました!!
歴史ある街で、清潔できれい。日本でも年取ったらこういう街に住みたいなって思いましたね。
そして、私は夜行電車に乗って次の都市リヴィウへ!!
リヴィウ駅の写真だけ先に載せておきますね。
次の投稿からはリヴィウです。
またご覧いただけると幸いです。では。
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中世ヨーロッパのような町チェルニウツィー
チェルニウツィと聞いてピンとこない方がほとんどだと思います。
チェルニウツィは英語でChernivsi、ドイツ語でCzernowitz、ウクライナ語でЧернівціと書きます。
場所はウクライナ南西部、チェルニウツィ州の州都です。西ウクライナの文化の中心でもあります。
僕はこの街をとても気に入りました。
早朝着いたので、早いですがチェックイン!荷物を部屋に置いただけですが。。。
ウクライナ人の友人の父親から紹介していただいた、レストランを経営している方と合流し、チェルニウツィ観光へ
チェルニウツィといえば、やはりチェルニウツィ大学!!!
ここは必ず行かないといけない!!!
ということで到着
チェルニウツィ大学は世界遺産に登録されている大学です。
大学内ツアーに参加しました。
99%何言ってるかわからなかったけど歴史があるんだってことだけは理解できた。
第二次世界大戦中、ソ連がドイツからウクライナを奪還してからこの大学にコンピュータ施設があったそうです。
その資料だけでなく、歴史的な石像などたくさんあります。
大学内から見る景色もとてもきれいでした。曇りなのが残念
次の更新はチェルニウツィの街観光です。
またこのブログに足を運んでいただければ幸いです。
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極寒ウクライナ
福岡からウクライナまで飛行機で25時間ぐらい。
乗り継ぎ大変や\(゜ロ\)(/ロ゜)/
キエフに着いて、まず思ったこと。
「寒すぎやろ⛄」
キエフにあるボルィースピリ国際空港です。
佐賀空港ぐらい閑散としてた。(佐賀の人ごめんなさい🙏)
僕はウクライナの友人の父親に迎えに来てもらったけど、普通の旅行者はバスでキエフ市内へ移動だね。
友人宅におじゃますると、九州ではなかなか見れないものを発見!!しかも特大!!
人生で初めてつららを見ました。
これ危険すぎる。⚠️
その後、少しだけ市内観光。
ウクライナの中央通り
キエフ唯一のラーメン屋さん
チャイコフスキー音楽ホール
独立広場の目の前にありました。
ウクライナ独立広場です。
次の日、車で市内へ送ってもらっているとき気づいたこと。それは・・・
パトカーが・・・
全て日本車!!!( ☆∀☆)🇯🇵( ☆∀☆)
縦写真ですみません、とっさに撮ったので。
三菱アウトランダーです!
ちょっと感動しやした。☺️
ここからキエフに関する観光客への注意
1、舗装されている道路だけど、ボコボコしてます。また、運転が荒いし、マニュアル車が多いので、酔いやすい方は必ず酔い止めを。
2、物価が安いので、使いすぎに注意。
地下鉄は改札から出ない限り乗り放題。それで25円ぐらい。その分、ごはんやお土産に使います。ごはんは日本と値段はあまり変わりません。特に外食。お土産も割高に感じるはず。
3、ヨーロッパあるあるですが、お金くださいって声をかけてくる人が多いです。まぁ、何て言ってるか分からないですが。。。タクシーもぼったくりがあるみたいですよ。
以上、注意点でした。
キエフを旅行される際は気をつけて、楽しんでくださいね(о^∇^о)